福岡市早良区西新で商売をさせてもらっているので、感謝の気持ちを込めて近所のお店を紹介します。

タイトルで言い切ったのですが、このコーナーはシリーズ化をする予定ですので、お楽しみに。

wikiからの引用になりますが、簡単に西新界隈の解説を。

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西新(にしじん)は、福岡県福岡市早良区の地名。現行行政地名は西新一丁目から七丁目。2012年1月31日現在の人口は11,144人。郵便番号814-0002。

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ちなみに当店i@Qは西新5丁目になります。

 

福岡市の中心である天神の西側、早良区北部に位置する。早良区内のみならず、福岡市西部においては最大の繁華街が展開される。また、西南学院大学が置かれるため学生街の性格も持つ。北で百道浜、東で中央区地行浜・地行・今川、南東の橋梁上の一点で中央区鳥飼、南で城西・祖原、南西の道路上の一点で昭代、西で高取、北西で百道と隣接する。藤崎等とともに福岡市西郊の副都心を形成する。福岡市地下鉄空港線の西新駅が置かれている。明治通り・早良街道・城南線の3本が通っている。

この時代にシャッター街となってない数少ない商店街の一つです。

毎日賑わってますよ!

歴史

前身は早良郡西新町。

1666年(寛文6年)、紅葉八幡宮が福岡藩第3代藩主黒田光之によって樋井川西岸の唐津街道沿いに移されたため、門前町として人家が並ぶようになる。

1694年(元禄7年)には藩によって下級藩士の宅地が造成される。頭山満の生家も西新であった。

1872年(明治5年)の区画制施行では城下町福岡と同じ第1大区となるも、

1889年(明治22年)の市制・町村制施行の際に麁原(そはら)村と合併して早良郡西新町となる。

1891-92年頃より西新炭鉱の採掘が始まるも振るわず

1900年(明治33年)に閉山。採掘は麁原炭鉱や鳥飼炭鉱に移った。同じ頃、

1900年(明治33年)に修猷館が、

1918年(大正7年)に西南学院が移転し文教地区の性格を帯びる。

1910年(明治43年)には西新町内に電車駅が開業。

1925年(大正14年)には北九州鉄道西新町駅(のち国鉄西新駅、1983年3月21日限りで廃止)も開業。それに伴い商業地区としても活気づく。

1922年(大正11年)4月1日に福岡市へ編入。

1945年(昭和20年)の福岡大空襲ではさほど被害を受けず、戦後は住宅が激増した。 地名の由来

 

江戸時代、現在の中央区今川付近が「西町」と呼ばれていたのに対し、樋井川以西を「新西町」と呼んだことに由来する。これがいつしか逆転して「西新」になった。

 

結構歴史古いですね。

実は私も、この記事を書くために調べて知りました。

ちなみに、1666年の出来事も載せときます。

4月30日(寛文6年3月26日) – 酒井忠清が大老に就任(5月3日(寛文6年3月29日)付で老中を辞任)。

9月1日~9月5日 – ロンドン大火。

ルイ14世、在ローマ・フランス・アカデミー(French Academy in Rome)を設立。

スウェーデン:ルンド大学創立。

11月3日(寛文6年10月7日) – 国公私立を通し、日本最古の高等学校である岡山県立岡山朝日高等学校が岡山城西ノ丸(現・岡山市民会館)に仮学館として設置される。

江戸幕府から諸国山川掟が出される。

 

歴史も古く、楽しい街ですね。

ぜひ西新にお越しください。

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